先代旧事本紀にみる6世紀の天皇(その1)
以前、「物部守屋の不条理」、「先代旧事本紀こそ本来の天皇系図を保存しているのではないか」にて先代旧事本紀は本来の天皇系図を表しているのではないかと考えた。

上記の先代旧事本紀の本来の系図から物部守屋と物部雄君は2世代後の人物だと考えて、以下の系図だと考えた。

今回は物部尾興以前の物部氏の系図を考えてみる。

九世孫から物部尾興の十三世孫までの大連を経験した人物のみをピックアップした。なお、九世や十世などがついているのは先代旧事本紀の各世代の筆頭に挙げられた人物である。各人物の下の数字は大連を務めた天皇の在位期間である。
系図を見ると十世の物部印葉(イニハ)は三世紀応神天皇の大連だが、その兄弟は5世紀允恭天皇や履中天皇などの大連である。十世で世代の飛躍があるのだ。また、十一世孫の物部眞椋(マクラ)については十一世孫の筆頭に挙げられながら大連ではない。物部氏系図は十世から十三世までにも系図の捏造が存在するのではないか。
先代旧事本紀と日本書紀での大連は以下の通りである。
履中天皇 先:物部伊莒弗 日:物部伊莒弗
反正天皇 先:物部伊莒弗 日:
允恭天皇 先:物部麦入日 日:
安康天皇 先:物部大前日 日:物部目・大伴室屋
雄略天皇 先:物部布都留 日:物部目・大伴室屋
清寧天皇 先:物部目日日 日:大伴室屋
顕宗天皇 先:物部小前日 日:
仁賢天皇 先:物部木蓮子 日:物部麁鹿火・大伴金村
武烈天皇 先:物部麻佐良 日:物部麁鹿火・大伴金村
継体天皇 先:物部目日日 日:物部麁鹿火・大伴金村
安閑天皇 先:物部麁鹿火 日:物部尾輿・大伴金村
宣化天皇 先:物部押甲日 日:物部麁鹿火・大伴金村
欽明天皇 先:物部尾輿日 日:物部尾輿・大伴金村
履中天皇以前の大連は一世紀の垂仁天皇の物部十千根大連となる。また、武烈天皇は大伴金村が大連であるが、なぜか大伴室屋が登場する。
《武烈天皇三年(辛巳五〇一)十一月》十一月。詔大伴室屋大連。発言濃国男丁。作城像於水派邑。仍曰城上也。
そして、物部麁鹿火は宣化天皇元年に亡くなり、物部尾輿に大連が代わるが、なぜか、宣化天皇の前の天皇である安閑天皇の時代に物部尾輿が登場するのである。
《安閑天皇元年(甲寅五三四)閏十二月是月》是月。廬城部連枳〓唹女幡媛。偸取物部大連尾輿瓔珞。献春日皇后。事至発覚。枳〓喩以女幡媛。献采女丁。〈 是春日部釆女也。 〉并献安芸国過戸廬城部世倉。以贖女罪。物部大連尾輿恐事由己。不得自安。乃献十市部。伊勢国来狭狭。登伊。〈 来狭狭。登伊、二邑名也。 〉贄土師部。筑紫国胆狭山部也。』武蔵国造笠原直使主与同族小杵、相争国造。〈 使主。小杵。皆名也。 〉経年難決也。小杵性阻有逆。心高無順。密就求授於上毛野君小熊、而謀殺使主。使主覚之走出。詣京言状。朝庭。臨断、以使主為国造。而誅小杵。国造使主悚憙交懐。不能默已。謹為国家、奉置横渟。橘花・多氷。倉樔。四処屯倉。是年也、太歳甲寅。
《宣化天皇元年(丙辰五三六)七月》秋七月。物部麁鹿火大連薨。是年也、太歳丙辰。
反正天皇や允恭天皇、顕宗天皇については日本書紀で具体名のある大連が登場しないので空欄とした。
赤文字は各世代筆頭で大連となった人物である。欽明紀の物部呉足尼については省略した。物部木蓮子については日本書紀において安閑天皇の大連であった可能性がある。安閑天皇元年3月6日では物部木蓮子「大蓮」となっており、大連を連想させるからである。
《安閑天皇元年(甲寅五三四)三月癸未朔戊子。【六】》三月癸未朔戊子。有司為天皇納采億計天皇女春日山田皇女為皇后。〈 更名山田赤見皇女。 〉別立三妃。立許勢男人大臣女紗手媛。紗手媛弟香香有媛。物部木蓮子〈 木蓮子。此云伊施寐。 〉大蓮女宅媛。
以上のように先代旧事本紀の物部氏系図と日本書紀ともに歴史を延長して過去に遡らせたことによる矛盾が生じていると考えられ、先代旧事本紀と日本書紀は別の時期に捏造されたという印象をもっている。

上記の先代旧事本紀の本来の系図から物部守屋と物部雄君は2世代後の人物だと考えて、以下の系図だと考えた。

今回は物部尾興以前の物部氏の系図を考えてみる。

九世孫から物部尾興の十三世孫までの大連を経験した人物のみをピックアップした。なお、九世や十世などがついているのは先代旧事本紀の各世代の筆頭に挙げられた人物である。各人物の下の数字は大連を務めた天皇の在位期間である。
系図を見ると十世の物部印葉(イニハ)は三世紀応神天皇の大連だが、その兄弟は5世紀允恭天皇や履中天皇などの大連である。十世で世代の飛躍があるのだ。また、十一世孫の物部眞椋(マクラ)については十一世孫の筆頭に挙げられながら大連ではない。物部氏系図は十世から十三世までにも系図の捏造が存在するのではないか。
先代旧事本紀と日本書紀での大連は以下の通りである。
履中天皇 先:物部伊莒弗 日:物部伊莒弗
反正天皇 先:物部伊莒弗 日:
允恭天皇 先:物部麦入日 日:
安康天皇 先:物部大前日 日:物部目・大伴室屋
雄略天皇 先:物部布都留 日:物部目・大伴室屋
清寧天皇 先:物部目日日 日:大伴室屋
顕宗天皇 先:物部小前日 日:
仁賢天皇 先:物部木蓮子 日:物部麁鹿火・大伴金村
武烈天皇 先:物部麻佐良 日:物部麁鹿火・大伴金村
継体天皇 先:物部目日日 日:物部麁鹿火・大伴金村
安閑天皇 先:物部麁鹿火 日:物部尾輿・大伴金村
宣化天皇 先:物部押甲日 日:物部麁鹿火・大伴金村
欽明天皇 先:物部尾輿日 日:物部尾輿・大伴金村
履中天皇以前の大連は一世紀の垂仁天皇の物部十千根大連となる。また、武烈天皇は大伴金村が大連であるが、なぜか大伴室屋が登場する。
《武烈天皇三年(辛巳五〇一)十一月》十一月。詔大伴室屋大連。発言濃国男丁。作城像於水派邑。仍曰城上也。
そして、物部麁鹿火は宣化天皇元年に亡くなり、物部尾輿に大連が代わるが、なぜか、宣化天皇の前の天皇である安閑天皇の時代に物部尾輿が登場するのである。
《安閑天皇元年(甲寅五三四)閏十二月是月》是月。廬城部連枳〓唹女幡媛。偸取物部大連尾輿瓔珞。献春日皇后。事至発覚。枳〓喩以女幡媛。献采女丁。〈 是春日部釆女也。 〉并献安芸国過戸廬城部世倉。以贖女罪。物部大連尾輿恐事由己。不得自安。乃献十市部。伊勢国来狭狭。登伊。〈 来狭狭。登伊、二邑名也。 〉贄土師部。筑紫国胆狭山部也。』武蔵国造笠原直使主与同族小杵、相争国造。〈 使主。小杵。皆名也。 〉経年難決也。小杵性阻有逆。心高無順。密就求授於上毛野君小熊、而謀殺使主。使主覚之走出。詣京言状。朝庭。臨断、以使主為国造。而誅小杵。国造使主悚憙交懐。不能默已。謹為国家、奉置横渟。橘花・多氷。倉樔。四処屯倉。是年也、太歳甲寅。
《宣化天皇元年(丙辰五三六)七月》秋七月。物部麁鹿火大連薨。是年也、太歳丙辰。
反正天皇や允恭天皇、顕宗天皇については日本書紀で具体名のある大連が登場しないので空欄とした。
赤文字は各世代筆頭で大連となった人物である。欽明紀の物部呉足尼については省略した。物部木蓮子については日本書紀において安閑天皇の大連であった可能性がある。安閑天皇元年3月6日では物部木蓮子「大蓮」となっており、大連を連想させるからである。
《安閑天皇元年(甲寅五三四)三月癸未朔戊子。【六】》三月癸未朔戊子。有司為天皇納采億計天皇女春日山田皇女為皇后。〈 更名山田赤見皇女。 〉別立三妃。立許勢男人大臣女紗手媛。紗手媛弟香香有媛。物部木蓮子〈 木蓮子。此云伊施寐。 〉大蓮女宅媛。
以上のように先代旧事本紀の物部氏系図と日本書紀ともに歴史を延長して過去に遡らせたことによる矛盾が生じていると考えられ、先代旧事本紀と日本書紀は別の時期に捏造されたという印象をもっている。
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